第33回愛川町連合音楽会が、今日の午前中、町文化会館で行われました。今年は、6校のうち、最後を飾る大トリ。高峰小の前に、合唱・合奏した5校は、それぞれに工夫を凝らした発表で、個性あふれるステージを見せてくれました。いよいよ、高峰小。静かなピアノの演奏にのって、「この星に生まれて」。さわやかで透き通った歌声に聞いている人たちが魅了されます。続いて、「いのちの名前」。笑顔を見せながら、会場を包み込むような素敵なハーモニー。なんとも言えず本当に美しかったです。 教育長さんや他校の校長先生方から「高峰小の合唱は、すばらしかった。」とお褒めの言葉をたくさんいただきました。 練習の成果を存分に発揮し、見事に歌い上げた子どもたちの表情は何とも言えずうれしそうでした。
2015年11月13日金曜日
2015年11月12日木曜日
80. 寒くなりましたが元気です
紅葉がきれいな季節が近づいてきました。朝晩の寒さが気になり始めましたが、みねっ子は、とてもお休みが少なく、元気です。ご家庭でしっかりした生活を送っている証拠かなと思います。学校でも、子どもたちが「明日 また登校したくなる学校」を目指して頑張っています。
79. きずなと共にすてきなメロディーを・・・
いよいよ明日、5年生の連合音楽会が町文化会館で行われます。今年の5年生の連合音楽会に向けての目標は、「きずなと共にすてきなメロディーを奏でよう」。 ここまでのたくさんの練習の中で、クラスの絆は確かに強くなりました、そして、先生方のご指導の下、美しいすてきな歌声も手に入れました。あとは本番で最高の歌声を響かせるだけです。5年生は、この連合音楽会への取り組みを通して、大きく成長することができたという自信を持って本番に臨みます。
2015年11月11日水曜日
78. 実りの秋
1年生が学校の畑に植えて、育ててきたサツマイモ。今日は、いよいよ収穫、芋ほりです。ペア学年の6年生が応援に駆けつけ、一緒に作業です。1年生は、本当に6年生が大好き。いっぱいの笑顔です。お手伝いをしてもらったお礼に、後で6年生へプレゼントを贈る予定のようです。 大きく育ったサツマイモに負けず、1年生もいろんなことを経験して、たくましく成長しています。
2015年11月10日火曜日
77. あこがれの力
今日の児童朝会。始めに、連合運動会で入賞した6年生の表彰。続いて、13(金)に行われる連合音楽会で発表する2曲を、5年生が美しい歌声で響かせます。最後は、今月の歌「未知という名の船に乗り」の全校合唱。6年生の見事なハーモニーに導かれ、下級生の歌声も、より勢いを増していきます。 6年生、5年生という学校のリーダーたちがみせるキラキラ輝く姿を目の当たりにして、下級生たちのあこがれが膨らんでいくのがわかります。 子ども同士が学び合う最高の時間になりました。こころが揺さぶられるって、こういうことなんだと思いました。
(写真は、3、4校時にI先生から合唱指導を受ける5年生)
(写真は、3、4校時にI先生から合唱指導を受ける5年生)
2015年11月9日月曜日
76. 業間休み
75. 学校へ行こう週間
11/9(月)~11/14(土) 保護者や地域の方々を対象にした「学校へ行こう週間」を実施しています。( 14(土)は、「みねっ子フェスティバル」です ) 学校に対する理解と関心を深めていただくとともに、開かれた学校づくりを推進するため、この期間 8:30~15:00 学校生活を自由に参観していただけます。お時間がありましたら、校長室にもお気軽にお立ち寄りください。(出張で校長がいない日もかなりありますが・・) 今日は、その一環として、PTA本部・各委員会の皆さまの朝のあいさつ運動も行われました。
2015年11月6日金曜日
74. 6年生 親子ふれあい活動
6年生 今年の親子ふれあい活動は、少し早いですが卒業式の時に、子どもたちの胸を飾るコサージュ作りです。PTA学年委員さんの指導の下、親子いっしょに制作です。 自分と家の人で作ったコサージュをつけての卒業式は、より思い出に残るものになりますね。ただ、まだまだ小学校で身につけなければいけないことが、たくさん残っています。残りの日々を充実したものにして、立派な卒業式を迎えたいと思います。
73. 高峰小 歴史紹介 その3
給食室前に雄姿を見せているくすのき。明治時代にあった日清・日露戦争の戦勝記念に全国に配布されたもののようです。火薬の原料になるしょうのうがとれるということで、くすのきが選ばれたそうです。樹齢110~120年になりますが、今も元気良く大きくなっています。自然の力の偉大さを感じますね。
72. 高峰小 歴史紹介 その2
児童玄関を入った正面の壁に飾ってある大きな木の板には、「三増学校」の文字が刻まれています。121年前に高峰小学校が開校するさらに21年前の明治6年に三増学校は開校しました。三増のお寺 棟岩院を使ってはじまり、その後、三増中里の桜山に校舎が建てられました。このころの学校はすべて村の人たちの費用で作られていたということです。当時の人々の学問に対する志の高さを感じます。
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